めんどくさい

わたしの考えじゃなくて、咎めるひとの声に後ろめたい。でもきっと正しいんだろう。わたしは結局やりたいことなんか何もない気がする。

 

ごめんなさい。行ってきます。今回で終わりにするから許して下さい、ごめんなさい。何にごめんなさいなの?お母さんの常識に対して申し訳ないの?なんなのかわからないけど、ずーっとずーっと、不義理を働くようでなんとなく後ろめたい。やりたいことやってんだから、まあいいやって、まあいいやって、忘れちゃえばいいのに、やっぱり何歳になっても怖いもんは怖い。

 

責めるとお母さんは、そんなこといつまでも気にしないのって呆れる。まあいいや、まあいいや、まあいいや、長い人生の一瞬を、何が正しいかわからなくて夜な夜な高速を飛ばして誰かのお家に急ぐ。誰も覚えてないんだよ。話したことなんか、誰がどのくらい覚えてるかなんて誰にもわからない。わたしのこともみんな忘れちゃうよ。みんな忘れて、何もなかったことになってしまう。もうお終いにするから、まあいいや、今年で山はやめるんだ。でも、まだまだいい匂い嗅いでたいっておもうんだよ。間違ってるのかな、間違ってるんだろうな。

めんどくさい

めんどくさいめんどくさいめんどくさいめんどくさいめんどくさい。やっぱり向いてない。何かしてあげるのは自分が減るみたいで嫌だ、ちょっとずつ自分が踏みにじられている気がする。ちっとも成長してないじゃんて自分で思う。体調悪くなる以外の方法を知らない。向いてないよ、いい加減に諦めて気付けよ。

可愛くない

好きなところへ好きなひとを連れていこうとすると、母性本能みたいのがどこからか、むくむく湧いてくる。いろいろやってあげるのはあんまり良くないらしい。お母さんになってしまう。不安しかない。男らしいわたしは、ちっとも可愛くない。でも行きたいとこがあって一人は嫌で、今ならいろんな人のいろんな気持ちが理解できる。わかるからこそ、一人で行って、帰ってこようとするソロの潔さを実感する。ちゃんと今年で終わりにする。

住みたくない

住みたくないとこ

要町

千川

小竹向原

和光市

甲府、宇都宮

 

たぶんこっち方面は鬼門

 

自分の空間を守ること、自分の場所を守ること、心を守ること、秘密をつくること、秘密を守ること。

めんどくさい

電話を切った後、よくわからなくなって急いでパッキングした。買い置きがあったので20分で終わった。屋久島へ行ったのは2011年だった。つまりミレーのザックとは6年の付き合いってこと。行くか行かないかわからないけど、たぶん行ったほうがいい。いまのわたしをつくってるのは山登りだから、きっと山登りしなくなったら、誰かが好きでいてくれる自分がいなくなってしまう。クライミングもおなじ。たぶん苔もそう。

 

共依存とかACとかサイコパスとかモラハラとかそんなのとは無縁の人生を送りたい。できることとできないことの線引きとか言う前にやることちゃんとやれ

テレビは断ってしまった。テン泊のほうやっぱり行きたいって言ったあと、なんて説明したらいいかなって思った。今年の夏で山はやめるって、去年も言っていた。そろそろやめないとっていうか、やめたい。疲れたし。登らないと登れなくなる、って天気のいい週末のたびに脅迫観念みたいなのくるのも辛いし。

海辺のカフカ

裏銀座を歩きながら読もうと思っていた海辺のカフカをうっかり読み終わってしまった。なんとなく裏銀座も歩き終えたような気分になる。目が覚めたら、新しい世界の一部になっている。

 

一世一代の大冒険なの、わたしには、これだけでもすごいことなんだよ、と言ったら、えーとえーとと慌てたあと、まあ、心配しても仕方ないのか、というので、心配しても仕方ないのではなく、理解しようとしてないだけだと思ったけど、生きて帰ればいいからまあいいやと思って、何も答えなかった。

 

素敵なことがあって、お洋服を買った、なんとなくのほわほわと、山へ向かう野生の心みたいなのがモコモコぶつかって、おおきな積乱雲みたいになっている。わたしにはできることとできないことがあって、生きることは、残りの人生は、できることとできないことの線引きを繰り返す日々みたいに感じる。

 

いつかいつか、はどんどん遠くなる。行きたいと思ったいまが、その場所の一番近くにいる。