2/13 アムス→ケルン→成田
朝、ケルンへ移動
床のモザイク画より、聖遺物よりも、ゲロさんの十字架よりも、12連くらいある祭壇に釘付けになってしまった。世界でいちばん古い祭壇があったらしい。見逃した。去年はカーニバルで入れなかった。2人でキャンドルを立てた。
御線香とか、お賽銭みたいに、感謝したり、祈ったりしたい。
終えて、フランクフルト空港、18時の便で帰路へ。
2/10 モンサン→ベルギー
ロマネスク教会、ゴシック教会の境目があったり、階で、階級が分かれていたり、聖ミカエル(竜を退治する)、地味だけど、かっこいい要塞。司教オベールが、建てろって夢で言われて、3回目の夢で、おでこをミカエルに、親指でぶしって刺されてる石膏像が面白かった。けらけら笑った。
そのあと7hかけてベルギーへ移動
途中のガソリンスタンドのエスプレッソが楽しかった
2/8 パリ
サントシャペル 10年前にこのステンドグラス、お母さんにも見せてあげたいなぁと思ったのをずっと覚えていた、じわる。セキュリティで、おじさんが、美人さんと私たちを褒めてくれた。受付のおねえさんも珍しく感じが良かった。この日に会った人はみんな親切だった。歩いて、ノートルダム大聖堂
ルーブル駅まで戻って、お昼ご飯。お店の人が優しい。14時オルセー、16時半まで粘る。入ってすぐ、新古典主義、ロマン主義の部屋、アングルの泉で2人ともやばいってなって、入り口まで戻ってオーディオガイドを借りた。シャヴァンヌ、モローのあたり一回泣く。写実主義の部屋で、クールベの画家のアトリエが大きくてしばらく動けず。シロクマ
マネを探して5階、なぜかルドンしかない、ルドン大好き。反対側の階段を上がるらしく65歳に謝りながら階段を登らせる。ルノワール(大好きな田舎のダンス、3回目)、マネは日本でも見たけど3つ並ぶと壮観、吉岡徳仁のガラスの椅子もあった。1つだけかかってたホイッスラーが素敵だった。母にアミノバイタルを飲ませる。
ルーブルへ移動、歩きたくないという母が自転車タクシーに引っかかり徒歩15分の距離で2人で20ユーロぼられる。
ルーブル、迷いながら、ニケ、モナリザ、カナの婚礼(ヴェネツィアルネサンス)、ティツィアーノ
ボッティチェリの壁画
チマブーエ、ジョット、フィレンツェのルネサンス、ダヴィンチラファエロ、そのあとの新古典主義、ロマン主義の部屋で吐きそうに感動する。アングル、ジェリコー、ドラクロワ、ダヴィッド。惰性で、ラトゥールのいかさま師、フラアンジェリコ、北方ルネサンスの部屋は閉まっていた。20時半まで粘った。(21時までの日だったから)
絵も、建物も装飾も、全てが全てがなんだかすこしだけ、壮大すぎて、途方に暮れた。なんかショックだった。
自転車タクシーでぼられたのを許さず、最寄りまでメトロで戻る。夜ご飯はスーパーで適当に済ます
1/23 きょんちゃん
きょんちゃんと女子飲み
たくさん聞いてもらった。
乙女座は土のエレメントだから、どっしりしてる、だって。だから山とか苔が好きなのかなーとか、すぐ信じちゃう。水は流れちゃう、風は吹いて、火はめらめら燃える。だから土は土がいいんだって。
きょんちゃんは、自分が大好きと胸を張っていて、人に合わせるのは嫌だと声を大にして目の前のひとに伝えることができて、そして、その正義を誰より一番信じてる感じがした。すごいことだ。
★今日のきょんちゃんの教え★
すごい!嬉しい!って言えばいい。何もしなくていい。具体的にお願いをする、そして、すごい!嬉しい!ってまた言う。何もしなくていい。繰り返し
だって。笑
でもさあ、すごい嫉妬深い魚座もいたし、自由すぎて浮気しまくってる乙女座もいたよ。当たんないよ。
1/21 冬の大三角
左上のすこし赤いのがペテルギウス
その左上の、ふたつ並んだのがふたご座の、ポルックスとカストル。どっちかが不死身で、一緒にいたいってお願いして、お空に上げてもらう。
おとめ座のスピカは、春の空だから、いまは見えない。ずっと右下に見える大きな明るいのは何なのだろう。
何度も何度も見ておぼえる。目が見えるってすごいことだ。見えてない世界でいいと思っていたけど、やっぱり見えたほうがいい。でも、よく見えても見えなくても、星がチラチラ瞬くのは、おんなじなんだなと思った。
わたしが生きてることと、誰かが生きてることとは、何か関係があるんだろうか。寂しいことだ。みんな寂しいとか思うんだろうか。みんな居心地の悪さを持て余していたりするんだろうか。気持ちを分かってほしいとか、そばにいてほしいっていうのか、誰かの優しさを利用してることと同じなんじゃないか。どこまでも低頭に接してくれたその人の言葉や、ろくに見ることのできなかった表情や、笑った時の目尻のしわを思い出した。申し訳なくて、きっともう会わない気がして、でもやっぱり何度考えても、それは自分にとって良いことではないと思って、それ以上なにもないんだって、わかりきっていて、悲しかった。