何にもならない

それで何になるんだろう、の繰り返しの繰り返しの繰り返し。よーちゃんいつか大人になったら、わたしのこと許してくれるだろうか。お母さんは、良い子のよーちゃんのお母さんになれたんだろうか。

 

お腹が張って痛いなとか思いつつ、お母さんは上野駅のホームでスマホをいじってるよ。お母さんは、忙しいししんどいし悩むけど、毎日よーちゃんがいてくれるから、いろんな気持ちになれて、いろんな知らないことを知れて楽しいです。話しかけるとお返事してくれるよーちゃん、うんうん唸ってお喋りする。張ってるときは苦しいのかな。

 

よーちゃんは世界がもっかい新しく始まるみたいな景色見せてくれるんだろうか。すぐ飽きちゃうのかな。イケメンに育ったよーちゃんが、スーパーの袋とか持ってくれたら嬉しいな。

りーむー

無理って言われてムカつくのは、

 

わたしのほうが、よっぽど無理だよって思ってるからだ。心の中では、すごい無理だと思ってることを、無理って言われた言葉が実感させる。いつまで我慢すればいいんだろうとか先が見えないのはわたしも同じだ。

 

ほんとは、あの人も、いろんな劣等感を抱えてわたしと会話してるんだろうか。

よーちゃん

赤ちゃんのことを、よーちゃんと呼ぶことにした。よーちゃんて呼びたいのと、ようは陽だし、赤ちゃんは幼虫みたいだから。

 

12cmか15cmくらいのよーちゃんは、お腹の中を時々けりけりしてくれる。よーちゃんが動いてるのがわかる瞬間がいまは一番楽しい。

 

英語の歌を歌ってあげる。イライラしないようになんて無理だけど、自分で自分に、楽しいことは頑張って意識して増やしてあげないと。いまは苦しいけど、すぎてしまえば、いまのほうが楽チンだったと思う日もくるだろう。

 

トップオブザワールドを覚えて歌ってる。よーちゃんをお腹のなかに感じるのは、この世の創造の全てを世界の高いところから見てるみたいな気持ちになる。

赤ちゃん

夢の中の赤ちゃんは可愛いけど時々大人になっていた。小さい体を抱えておっぱいをあげた。おっぱいが捻れて痛かった。おしりふきとか、おむつとか、会社に遅れそうとかでぼんやりしていた。わたしの気持ちや心や体がすべて伝わるなら、元気で健康でお腹のなかにいてほしい。神様は時々意地悪で、お願いすべて叶えてくれるわけじゃないけど、わたしを本当の意味で不幸にすることはしないのだけど、それでもその時はとても悲しい気持ちになる。ぜんぶまるめて、わたしなんだけど、どうしてもいつも持て余してしまう。

4/2 手縫いの指先

そんなの泣いちゃうに決まってるよなぁって、思ったらもうだめだった。お人形の視線の先を追っては、何もない空間に存在しているなにかを想像して泣いてしまった。情緒、叙情。人を殺せるくらいのノスタルジー。むくむくと湧きまくる母性。

 

子どもだったわたしが、わたしが生まれる前に作られたお人形に泣いて、おばさんになっても同じものを見てまた泣く。いつかずっと遠い未来で、同じように誰かがそれを見て泣くんだ。良いものは継いでいく。みんな同じ。元気なんかださなくてもいいんだ。

3/12 ピエタ

わたしの体や心がずっと健康なら、きっと来年も再来年も、どこにだって行けるはず。たいしたことはできないけど、たいした人間にはなれなかったけど、少ない誇りやプライドや、いろんなものを保ったり保てなかったりしながら生きている。

 

身近な誰かが望むなら、その願いを叶えてあげたって罰は当たらないんじゃないの。いつか、あのとき、あのひとを、あの場所へ、連れてってあげればよかったと悔やむことは、きっと寂しいことだ。

 

きっとわたしのなかのピエタはひっくり返ってしまうよ。欠けた小指の付け根がきっと愛しい。ものすごくルネサンスが好きになってしまったりするんだろうか。それもいいなぁ。